
深夜。激しい雨音。
ふと夜中に目覚め、ぱらぱらと『徒然草』を読んでいました。
身死して財残ることは、智者のせざるところなり。よからぬ物たくはへ置きたるのもつたなく、よき物は、心をとめけんとはかなし。
「身死して財残ること」第140段
自分が死んだ後に、財産の残るようなことは、知恵のあるひとのしないことである。くだらない物をたくわえておいたのも見苦しく、また立派な品は、その物に執着しただろうと、むなしい気になる。
日本の文学 古典編 訳 稲田利徳 ほるぷ出版
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もちろん当方財が残る心配はないわけですが、ではわずかな品だけでシンプリーに暮らしているかというとそんなことはない。実に執着が多いし、いらない物を持ちすぎている気がします。
以前浮羽町『四月の魚』の関さんが雑誌のインタビューに答えて言っておられました。
「あまり物に執着しない」。
これはきっと本当に興味や関心が注がれているもの以外は「執着しない」という意味なのでしょう。
結果としてすでに関心の過ぎ去ったものや自身の中で過去となったものはきれいさっぱり整理しているということだと思います。使われ、活かされてこその道具であると『四月の魚』のあのたたずまいがそれを証明していました。
生活をシンプルに、美しく暮らしてみたい。もう必要でなくなったものを持ち続ける人生は確かにかっこ悪い。むろん、ロハス的でもない。不要なものが無くなれば本当に必要なものを見つけ出す気力もまたわいてくるだろう。
『徒然草』は読んでいて膝をたたきたくなるような痛快さがありました。なんて実用的な本なのでしょうか、少しも古典らしくない。アレ。いや、だからこそ古典と呼ばれるのでした。勝手に吉田兼好さんへノーベル文学賞を渡したくなったのでした。(笑)