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2006年7月

2006年7月30日 (日)

ドレステリア

D07209

今頃あらためて申し上げるのも変ですが、M&Mのスタッフはみんなベーシック好きです。でも、そのベーシックを考える時常に思うのは、よく「定番」みたいな言い方があって(自分たちもショップの中でしばしば使いますが)、今の「定番」はその言葉とは裏腹につねに揺れ動いて単純な繰り返しではないということです。

お客様に「どんな組み合わせがいいでしょうか」と問われて、頭の中にある定番をやってみても、あまり成功しません。着こなしはその瞬間、瞬間のものであって同じことをなぞれない。そんな気がしています。小物をひとつ加えてみる、足元を変える、お客様と一緒に時間の許す限り考えます。幸い当ショップはブランドもアイテムも多種多様。新しいコーディネートも「発見」できます。定番も楽じゃないけど楽しいですね。(笑)

2006年7月27日 (木)

オリジナル

Ko07275

M&Mのオリジナルでコーディネートしてみました。いろいろ組み合わせて新しい着こなしを探すのが楽しいとおもいます。次の日にはきっと全く違う組み合わせもあって、その日の気分で変われ るような...。

Ko07272

2006年7月24日 (月)

harus'ami

Harusami07241 Harusami07242

深夜。激しい雨音。

ふと夜中に目覚め、ぱらぱらと『徒然草』を読んでいました。

身死して財残ることは、智者のせざるところなり。よからぬ物たくはへ置きたるのもつたなく、よき物は、心をとめけんとはかなし。

                        「身死して財残ること」第140段

自分が死んだ後に、財産の残るようなことは、知恵のあるひとのしないことである。くだらない物をたくわえておいたのも見苦しく、また立派な品は、その物に執着しただろうと、むなしい気になる。

日本の文学 古典編  訳 稲田利徳 ほるぷ出版

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もちろん当方財が残る心配はないわけですが、ではわずかな品だけでシンプリーに暮らしているかというとそんなことはない。実に執着が多いし、いらない物を持ちすぎている気がします。

以前浮羽町『四月の魚』の関さんが雑誌のインタビューに答えて言っておられました。

「あまり物に執着しない」。

これはきっと本当に興味や関心が注がれているもの以外は「執着しない」という意味なのでしょう。
結果としてすでに関心の過ぎ去ったものや自身の中で過去となったものはきれいさっぱり整理しているということだと思います。使われ、活かされてこその道具であると『四月の魚』のあのたたずまいがそれを証明していました。

生活をシンプルに、美しく暮らしてみたい。もう必要でなくなったものを持ち続ける人生は確かにかっこ悪い。むろん、ロハス的でもない。不要なものが無くなれば本当に必要なものを見つけ出す気力もまたわいてくるだろう。

『徒然草』は読んでいて膝をたたきたくなるような痛快さがありました。なんて実用的な本なのでしょうか、少しも古典らしくない。アレ。いや、だからこそ古典と呼ばれるのでした。勝手に吉田兼好さんへノーベル文学賞を渡したくなったのでした。(笑)

2006年7月23日 (日)

リュデラポンプ

Ruedelapompe0723

2006年7月22日 (土)

Bilitis ビリティス

Grevi0722

Bilitis      ブラウス

LIVERTY    スカート

2006年7月13日 (木)

repetto

Repetto0713

夜の散歩

歩くことが好きでときおりウオーキングと称しては二時間も歩いたりします。昼間はとても暑くなりました。これからは夜歩くのも楽しいです。でもあまりウオーキングらしくないのが自分流です、雨が降ってきたらポンと傘をさす、気分しだいで帰りは電車にのる、カフェーやブックオフへ寄り道。決まりなど何もないのがいいんです。それに普段電車にのる機会がない身には案外それが楽しみであったりします。先だっては久しぶりに夜の博多湾までいってみました。中原中也の「月夜の浜辺」を思い出したからです。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
 月に向かってそれは抛れず
 浪に向かってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に拾ったボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

『在りし日の歌』(昭和十三年四月)

2006年7月 6日 (木)

ターシャ・テューダーの世界

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以前大宰府の古書店祭りで見つけたターシャ テューダーさんの本はいつ見ても軽いショックをうけま
す。コンサーバティブなそのライフスタイルはおとぎのくにのようにファンタジーです。いつもすごいなあなんて思いながら、どうして日本にはこんな素敵にいい感じののおばあさん写真集はないんだろうと思います。今、同世代の人が書いたライフスタイル本は巷にあふれていて、おしゃれなセンスに共感することもあるけれど、やはり本当に一筋通っているなという感じはしないし(当然といえば当然ですが)なんだか外国の生活雑貨の紹介ばかりで淋しいです。それよりも、竹久夢二→中原淳一・松本かつぢ→内藤ルネと引き継がれていたかつての「それいゆ」系のきちんとしていた頃の日本の少女が、今もどこかにその知性とセンスを持って暮らしていて、けっして金満ではないけれどビンボー臭くもなくピンと背筋ののびた品のあるおばあさん生活を送っている世界。そんな世界がみて見たいです。うまくいえないけれど小津の映画に繰り返し出てくるいつもこざっぱりと片付いた廊下の様な空気。白洲正子さんの目利きで美しい生活もいいかもしれないけど、むしろ中産階級が品性を保っていた頃の美学をそのまま今も続けている人の暮らし、それこそをみて見たい。

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